南ラオスへの旅

 3月9日から14日まで、プーキオ官房長とワンポイン計画課課員と一緒に、ラオス南部へ出張した。ラオスに行ったことがあっても、南部にまで足を伸ばす日本人は少ないだろう。ラオス南部には7つの県があり、メコン川と並行する西側は平野で、田園地帯が広がっている。
 ビエンチャンから国道13号を南下すると、ターケーク、サワンナケートという町を経て、ラオス第2の都市、パークセーに着く。ここまで、約600キロ。ビエンチャンでチャーターした車は、南部平野の道路を時速100キロで走行する。信号がないので、ほとんどスピードを落とす必要がない。時折、道路を牛や鶏が横断するときだけ、スピードを落とす。放牧の牛の群れや小さな集落など、牧歌的な風景が続く。
 今回の出張で英語の通訳でお世話になったワンポイン氏は25歳。大学で英語教育を専攻したとはいえ、外国留学の経験が全くないにもかかわらず、英語が達者である。ビエンチャンから100キロほど離れた山岳地帯の少数民族の出身。父親は死亡。兄弟は5人で、彼が長男で、妹や弟達の学費の面倒を見ている。平均月給20ドルというラオス政府の給与では生計が大変で、そこで、平日の夜や休日は英語のアルバイトをしている。ラオスの公務員の給与は大変低いために、アルバイトや農業などに精を出す人が多いという。日本と違って、公務員の兼業が当然の世界である。


ラオス南部と日本の支援

 日本は、ラオスに対して最大の支援国(ドナー)である。ラオス南部に来ると、日本の援助の成果をあちこちで見ることができる。国道13号線の整備や国道にかかる橋は日本の援助で建設。パークセーからタイに行く途中に建設されたメコン川2番目の国際橋も日本の援助。サワンナケートからベトナムに抜ける国道9号線の整備も日本の援助。そして、現在は、サワンナケートからタイに行くためにメコン川3番目の国際橋が日本の援助で建設に着手。これが完成すると、タイからラオス、ベトナムへと続く「東西回廊」ができあがることになり、インドシナ半島の経済発展の起爆剤として大いに期待されている。
 ラオス南部では、パークセーが県都のチャンパーサック県、山岳部のセーコーン県、サワンナケート県の労働福祉局及び貧困地区の村、セポン鉱山などを訪問した。
 印象深かったのは、セーコーン県の山岳部の村にある保健センターである。ラオス政府は、保健医療の拠点として保健センターを整備しつつあるが、予算と人材面の問題から不十分な状況にある。しかし、医療機関がない山村部では、唯一の保健医療機関として村民から頼りにされている。訪問したノンノック保健センターは、たどり着くまでに村があるのかと思うほどの悪路と森の奥にあった。まだ、30歳くらいの若い夫婦で、保健センターを管理していた。夫は準医師、妻は看護士で、2歳のかわいい女の子がいる。保健センターは木造で、センター内には井戸もある。とはいえ、電気もなく、物が乏しい村で、子育てをしながら、保健活動をしていくことは大変であろう。若い夫婦の献身的な行動が、村の保健医療を支えている。


ワット・プーとコーンの滝

 ラオス南部の名所としては、ラオスで2つめの世界遺産となったワット・プーの遺跡がある。ワット・プーとは「山の寺」という意味。この寺は、アンコールワットを建設したクメール王朝がつくったもので、歴史的に大変価値があるという。ただし、文化的な調査や観光地としての開発は不十分なようで、遺跡の説明はなく、巨大な廃墟がメコン川の平野と熱帯雨林の山の間に静かに建っているだけという印象を受ける。観光客も少ない。暑い陽射しのもと、セミの声だけが聞こえて、「静けさや岩に染み入る蝉の声」という芭蕉の句がよく似合う。
 もうひとつの名所は、「ラオスのナイアガラの滝」といわれるコーンの滝。ここは、カンボジア国境に近いラオスの最南部で、メコン川が雄大な滝と数千もの島をつくっている。本物のナイアガラの滝と比較をすると、滝の高さが低いので、誇大広告と思う人もいるかもしれない。しかし、中国から悠然と流れてきたメコン川が、熱帯の暑さに冷気をもたらすほどのすさまじい水煙をあげている雄大な風景を見れば、誰でも感嘆することであろう。

UXOとラオス

 ラオスの労働社会福祉行政の中で、UXO(不発弾)処理業務は特別な地位を占めている。ラオスは、ベトナム戦争時に、ベトナム解放戦線に対する補給路(ホーチミンルート)があったことから、米軍の激しい爆撃を受けた。1964年から1973年まで、米軍がラオスに落とした爆弾は、第二次世界大戦中に日本とドイツに落とされた爆弾の量よりも多かったという。
 インドシナ半島では、カンボジアの地雷問題が知られているが、ラオスの不発弾問題も深刻な問題である。国土の3分の1が被害にあい、爆撃により、山頂が低くなってしまった山があるという。しかも、不発弾が多量に残り、現在でも子ども達をはじめ、うっかり不発弾に触れて爆発し、年間約200人が被害にあっている。地中に埋まっている不発弾は、農山村の人々の生活を脅かすほか、農地を拡大するための土地の開墾にも障害となっている。
 そこで、1995年、ラオス政府は、国連やユニセフの支援により、危険の周知キャンペーンと不発弾除去を行うための基金を設け、1996年には、UXOの調査・除去を行う団体、UXO LAOを設立した。そして、労働社会福祉省が不発弾の調査や除去の調整・実施を所管することとし、UXO LAOは同省の部局として位置づけられた。
 UXO LAOは、不発弾が大量に残っている県において、住民に対する広報や不発弾処理の訓練を行っている。多くの地域が貧困地区でもあり、不発弾処理は、安全な土地を提供して農地や公共用地とすることにより、住民福祉の向上や貧困対策とも関連している。基金の財源は、アメリカやデンマーク、オランダ、日本などからの援助に依存している。すべて除去するためには、何百年かかるかわからないという。最後発国(LDC)における戦争の後遺症に複雑な思いである。

ラオス南部とUXO

【 週刊社会保障 2004.8.2 №2294(法研) 】

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