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ラオスの生活・衛生水準

 ラオスは経済的には貧しい国である。国連の基準では、世界の最後発国(Least Developed Countries; LDC)のひとつに分類されている。国連の人間開発指数の順位は、162か国中第131位(2001年)。日本9位、タイ66位、ベトナム101位、ミャンマー118位、カンボジア121位と、東アジアでは最下位。
 一人当たり国民所得は310ドル、日本の80分の1、タイの6分の1の水準。ラオスにとって、隣国のタイは経済先進国であり、日常雑貨品からオートバイや車に至るまで多くの工業製品がタイから流入している。
平均寿命は、59歳。20歳以下の人口が総人口の55%。合計特殊出生率は、4.9人と、日本の4倍近いが、乳児死亡率は出生千対82と、日本の20倍以上の高さ。周産期死亡率も高い。医療機関が不足し、医療水準のレベルは低い。
 さらに、生活上のインフラの整備も遅れている。水道水・井戸水などの清潔な水にアクセスできる人々は全人口の52%、公共の電気を利用している人口の割合は32%。国民の半数は、電気も水道もない状態で生活している。栄養不良者の割合は、57%。飢餓という事態はないけれども、農業生産性が低い山岳部での生活では、自活できる程度の食糧生産がやっとという状態のようである。


貧困撲滅計画

 ラオス政府が現在、最も力を入れている政策が、貧困の撲滅である。2020年までに、貧困地区を国内からなくし、最後発国(LDC)からの脱却を目標としている。
 この計画は、ネップ(NEEP:The National Poverty Eradication Programm:国家貧困撲滅計画)と呼ばれている。貧困地区の定義はいろいろとあるが、収入面からの定義は、都市部では、一人あたり月額10万キープ(約10ドル)以下の収入、田舎では一人あたり月額8万2千キープ(約8.2ドル)以下の収入の人が、村の人口の51%以上の場合を貧困地区としている。
 約10ドルの収入が基準であるが、日額ではなく月額の金額であるところに、ラオスの所得水準の低さがうかがえる。このほか、学校がないこと、安全な水の供給がないことなども、貧困地区の定義に入っている。こうした基準でみると、全国で72郡(全体の50%)、4,126村(全体の38%)が貧困地区に該当している。世帯数では、約16万世帯(全世帯の18%)。貧困地区とされる郡は、ラオス北部及びベトナムと国境を接する山岳地帯のほとんどが該当している。
 貧困撲滅計画の中では、政府が取り組むべきさまざまな施策が提示されている。農業・林業の生産性の向上と収入増大策、教育や保健衛生の充実、交通・運輸網の整備、鉱工業の振興と投資拡大など。要するに、貧困撲滅への取組は、国づくりそのものである。保健省や労働社会福祉省が果たす役割は大きい。保健省では、貧困地区における保健センターや薬の貯蔵庫の整備、保健医療人材の確保と質の向上への取組などがある。労働社会福祉省では、職業訓練の推進による雇用開発や、農村地区の生活向上等の取組などがある。また、ラオス政府は、各省庁にそれぞれ担当の県を割り振り、各省庁が責任をもって担当県の貧困地区をなくしていくようハッパをかけている。


貧困地区の村を訪問

 貧困地区の村の実態を把握するために、「ラオスの古都」ルアンパバーンから、約80キロ離れたパクセンへ向う。舗装された幹線道路からすぐに砂利道に入り、あとはひたすら山岳部を車で走る。途中、ガソリンスタンドなどの店は皆無で、時折、村が現われる。
 パクセンはパクセン郡の中心で、郡の役所がある。パクセン郡の人口は2万5千人。80%は、とうもろこしやおかぼなどの焼畑農業の農民。この地域の生活が大変な様子は、郡役所にも電気がない、県庁との間の電話回線もない、ということからすぐにうかがいしれる。ただし、説明者である郡の総務部長は、ソ連やベトナムに留学した経験があり、説明も要領を得ている。
 郡の紹介で、パクセンからさらに山道を1時間ほどあがったところにあるノン・ファダイドという村を訪問する。我々が車で村の中に入っていくと、わーっと子どもや大人達が集まってくる。ここは、カム族の村で、以前は、もっと高い山岳部に住んでいたが、ラオス政府のすすめで、昨年道路沿いに移住してきたという。ラオス政府は、貧困対策として、奥深い山岳部に住んでいる少数民族を生活がしやすい道路沿いに移住させる政策をとっている。

人間と動物が共同生活

 この村は80家族、462人の村。竹でできた高床式の家が並んでいる。村内には、にわとりや犬、アヒル、豚、牛などが放し飼い。豚が、家のそばで寝転んでいて、小さな子供の良い遊び相手になっている。テレビの人気番組「世界ウルルン滞在記」をほうふつとさせる。
 村の書記に生活上の問題点をたずねると、正式な小学校がない、水道がない(現在は、川まで水をくみにいく)、トイレや薬の貯蔵庫がない、牛ややぎを飼う場所がない、医療機関が遠い、といった課題を指摘する。小学校は、徒歩で1時間半もかかるところにあり、通学が大変という。そこで、村内に1年生から3年生までの臨時学校を開設している。学校といっても、設備は、古い机と椅子と黒板のみ。そこに、50人くらいの子ども達が勉強しているが、よく見ると、小さな幼児を子守り代わりに連れてきている子どももいる。日本の子ども達の教育環境と比較をすると、雲泥の差であるが、子ども達の表情が本当に素直な感じであるのが印象深い。
 さらに、ハードラーフという村も訪問。ここも、山岳部から移ってきた村で、75家族、456人が生活。65歳以上は約20人。焼畑農業、鶏や牛、豚の飼育で生計を立てている。ここでも、水道や保健センターがないなどの生活上の課題が指摘される。ヒアリングのあと、村の女性達がつくったというチャーという名のお酒(どぶろく)をごちそうになる。チャーはつぼの中に入っていて、50センチ以上の長さの竹のストローで飲む。ラオスのお祭ごとには欠かせないもので、一献の価値がある。

最貧国からの脱却

【 週刊社会保障 2004.7.26 №2293(法研) 】

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