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ルアンパバーン県への旅

 ビエンチャン市内ばかりでなく、地方の労働社会福祉行政の実情を視察した方がよいというので、ラオス各地に出かけることとなった。最初は、2月25日から3泊4日の日程で、ラオス北部のルアンパバーン県に出張した。県都は、世界遺産の指定を受けた都市、ルアンパバーン(ルアンプラバンともいう)。この都市は、16世紀頃まではラオス王国の首都であって、現在でもお寺がたくさんある。「ラオスの京都」といった趣の古都である。
 同行者は、カムケン計画課長と、ワンポイン計画課課員。カムケン氏は、48歳。1988年から3年間、ソ連に留学。ラオスは、1975年以降社会主義政権となり、ソ連邦崩壊前はソ連の支援を全面的に得ていたので、ソ連留学はエリートの証でもあった。ラオスのエリート達は、植民地時代にはフランス語、革命後はロシア語、90年代のアセアン加盟後は英語を勉強と、社会の変化の影響をもろに受けている。現在の指導者層はロシア語ができる人が多いが、若手は英語だという。
 カムケン氏は、6人きょうだいで、姉2人はアメリカに住んでいる。子どもは5人で、全員男子。2人は学業を卒業、1人はマレーシアに留学、1人は僧の学校、末の子供は中学生であるが、妻が病死したので、現在は、同居している自分の妹が面倒をみている。小話が好きな課長で、時間があれば、ユーモアと少しばかりエロチックな小話を披露してくれる。周りの人たちも彼の話に聞き入り、大笑いをする。語り口が巧みで、アジアの伝統である口承文学は、彼のような人たちによって語り継がれたのかなと思わせられる。


飛行機が大変

 ルアンパバーンに行くには、陸路では車で7~8時間くらい。飛行機では40分で着く。陸路は、ビエンチャンから国道13号線を北に向けて進む。山岳部を通るので、眺めが良いらしい。しかし、日本の外務省の危険情報では、ビエンチャンから数10キロ先以北の道路には「退避勧告」が出されている。昨年夏、この道路を通った外国人旅行者の一行が、盗賊に襲われて数名命を落とした事件があったかららしい。
 そこで、飛行機であるが、実はこちらも頼りないのである。外務省は、ここでも勧告をしていて、ラオス航空が運行する中国製の小型飛行機には極力乗らないこと、ソ連製の双発機であれば搭乗してもよいという。幸い、ルアンパバーン行きの飛行機は後者であるので、空路を利用する。ただし、ラオスに来る前にインターネットで検索した旅行記によると、この飛行機も離陸してから高度が上がり出すと、突然、白い煙が機内に吹き出てきて、着陸するまで生きた心地がしなかった、という。正直なところ、ラオスの飛行機には不安が強かった。
 ラオスでは、国内線であっても、搭乗手続きにはパスポートの提示を求められる。カムケン氏達は、役所からの出張証明書の提示が必要である。「飛行機に乗りたいから」という理由だけでは、搭乗は認められそうにない。飛行機は、ソ連製のATR72。日本のYS11と似たタイプ。乗客の半数は外国人の旅行者。いよいよ離陸となり、高度が上がるにしたがい、いつ白い煙が吹き出すだろうかと内心ひやひやしていたが、幸いなことに何のトラブルもなく、ルアンパバーン空港に到着した。


仏の御意志

 ルアンパバーン県の労働社会福祉局長は、ラタナサイ氏。ラオ語で「仏の御意志」という意味だという。神々しい名前である。昨晩、ビエンチャンから「退避勧告」がでている道路をトヨタの車で走り抜け、午前2時に帰ってきたという。カムケン氏と同期で、中央の省から県に派遣された。英語を上手に話す。
 ルアンパバーン県には11の郡があるが、そのうち4郡は貧困地区。県の労働社会福祉行政の課題としては、まず、予算が限られていること。退役軍人・公務員に対する年金も不足することがあるという。職員の人材の質の問題。小学校卒が普通で、事務処理能力が低い。事務設備が限られており、パソコンもほとんどない。「予算がない、人材が乏しい」という課題は、その後も各地の労働社会福祉局で耳にした。

ダムの引渡し式

 ラタナサイ局長は、KR1という日本の食料援助を原資にした補助事業を活用してある村にダムを建設した、本日午後、労働社会福祉局から村民に対して「ダムの引渡し式」があるので、参加しないかという。そこで、昼食後、会場に向う。道路というよりはけもの道のような険しい坂道を、4輪駆動車で上がっていくと、100人くらいの村民達が集まっている会場に着いた。
  引渡し式は、次のような順序で行われた。最初に、バーシー膳という糸でつくったお花を囲んで、村の長老がお祈りをする。バーシー膳にはバナナや鳥肉などご供えてある。お祈りの後、お酒やお供え物が客に振る舞われる。お酒はラオ・ラーオというアルコール度が高いラオスの焼酎である。そのあと、糸をほどいて、女性達がこちらの手首に巻いてくれる。この糸を手首にまきつけておくと、良いことがあるという。15人くらいの人から結んでもらったので、手首に糸の厚いリングができる。続いて、村長や郡の副長達の挨拶、労働社会福祉局から村へのダムの引渡し宣言と、村からの感謝状の贈呈、そして、筆者も、日本からの来賓ということで挨拶をする。
 このあとダムを見に行ったが、幅が数メートル、高さ3メートル程度の小ささ。しかし、これによりかんがい用水や生活用水を得ることができるので、村民の感謝は大きい。費用は100万円。ダムをつくったのも村民で、補助事業で雇用を作り出すという方法をとったという。
 席に戻ると、食事会の始まり。肉と野菜のいためもの、さかなの唐揚げ、もち米とラオス料理が並ぶ。やがて、歌が始まる。続いてラオダンスが始まる。ラオダンスは、こうしたお祭りにはつきもので、ルールは2つしかない。ひとつは、男性が外側、女性が内側に立って、対面して踊ること。もうひとつは、両腕を沖縄の踊りのように動かすこと。2月でも真夏のような日差しの下では、ラオダンスのようなゆっくりした動きの踊りがふさわしい。

ラオス北部へ行く

【 週刊社会保障 2004.7.19 №2292(法研) 】

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