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JICAエキスパート

 ある日突然、厚生労働省人事課から、「ラオスに調査のため出張してもらいたい、期間は約2ヶ月」という打診があった。通常の海外出張と異なるのは、訪問国がラオスで、期間も2ヶ月という長期な点であった。
 アジアでは韓国と中国の北京・上海周辺以外には行ったことがないため、ラオスは、遠い存在である。そのうえ、2ヶ月も日本を離れるとなると、家族の了解も必要となる。特に、高齢の母親は極度の心配性で、飛行機事故から始まり、爆弾テロ、サーズ(SARS)、鳥インフルエンザ、食中毒、伝染病と、心配の種が尽きない。鳥インフルエンザは、ベトナムで死者が出たほか、ラオスでも鶏が死んだというニュースがあったので、用心するには越したことがないだろうが、飛行機事故やテロを心配していてはどこにも行けないし、公用旅券による公務出張であるから、身の安全は保証されているであろう、ということで家族を納得させ、ラオスに出張することとなった。
 今回のラオス出張の目的は、ラオスの労働社会福祉行政の調査である。その背景には、ここ3、4年間、ラオス労働社会福祉省がJICA(独立行政法人国際協力機構)を通じて、厚生労働省に対して、行政アドバイザーの派遣を求めてきたという経緯が存在する。厚生労働省では、本年度(平成16年度)夏に専門家を派遣することとし、そのための事前調査として、ラオスの労働社会福祉行政の現状と、日本の援助に対するラオス労働社会福祉省の要望を聴取するために、職員を短期派遣することとしたのである。
 国際協力の一環であるので、出張旅費等はJICAの予算であり、身分もJICAの専門家(エキスパート)である。緒方貞子JICA理事長からの委嘱状を受け取り、JICA本部と打ち合わせをして、2月15日から3月25日までの計40日間のラオス出張となった。


ラオスは「花粉症の国」?

 「ラオス」と聞いて、どのようなイメージを思い浮かべるだろか。おそらく、国の位置をはじめ、何のイメージも浮かばない人が多数であろう。
 まず、首都の名前さえ、正しく名前を言える人は少数であろう。ラオスに行くと聞いて、厚生労働省のある職員が、「ラオスは、花粉症の人が多いですよ」という。「山国だから多いの?」と聞くと、「首都が、ビエン(鼻炎)チャンだからですよ」。
 地理の試験問題対策のための駄洒落はともかくとして、ラオスについては、一般には知られていない。旅行ガイドブックさえないのではないか、と思いきや、さすがに「地球の歩き方」シリーズは、ラオスだけで1冊を構成している。この本は、ビエンチャンだけでなく、地方の記述もしっかりしており、ラオス旅行には必携の本だ。
 ラオスは、旅行パンフレットでは、「神秘の国」、「アジアの秘境」、「聖霊の棲む山と森の国」などと言われている。しかし、同じインドシナ半島にありながら、ベトナムやカンボジアと比べると、知名度ははるかに低い。観光ブームとなったベトナム、アンコールワットがあるカンボジアと比べて、日本からの旅行者の数も桁違いに少ない。80年代末まで事実上の鎖国状態であったことや、現在でも日本からの直行便がない、国内の交通機関や道路が整備されていないことなど観光の障害が大きい。
 ラオスに旅行に行く人は、「あちこち行ったので今度は人が行かないところへ」という人か、10時間のバス旅行もものともしないという若いバックパッカーの2タイプに大別できるのではないかと思う。インターネットで検索した個人の旅行記によると、見所は少ないのだけれど、何となく心がやすらぐところ、というのが最大公約数的な感想で、知る人ぞ知る「癒しの国」とも受け取られているようだ。


旅立つ前の関門、予防接種

 通常の海外出張であれば、旅行前の準備は、航空券やホテルの宿泊予約程度であるが、ラオスの場合は簡単ではない。JICAの規定によれば、派遣期間30日以上の場合には、健康診断が義務付けられているほか、各種の予防接種を推奨されている。なにしろラオスでは、食べ物や水から腸チフス、パラチフス、A型肝炎、コレラ、赤痢、食中毒、寄生虫疾患が、虫から、マラリア、デング熱、日本脳炎、フィラリア症が、その他の疾患として、B型肝炎、狂犬病、エイズ、破傷風があるという。
 JICAが推奨する予防接種は、5種類。優先順位でいうと、狂犬病、A型肝炎、破傷風、B型肝炎、日本脳炎。日本では、狂犬病はここ40年間くらい発生していないけれども、たとえば、インドでは年間100人から200人くらいが狂犬病で死亡しているそうで、狂犬病の予防接種は、アジア諸国に滞在する場合には必須のようである。
 ラオスは公衆衛生状態が悪いだろうから、可能な限りこれらの予防接種を受けることにする。しかし、問題が2点ある。ひとつは、予防接種の副反応があること。病院からの注意書きによると、狂犬病の予防接種の場合には、「局所反応として発赤、膨張、疼痛等、また、全身反応として発熱を認めることあり」とある。破傷風の注射の場合には、これらに加えて、「悪寒、倦怠感、まれに下痢、めまい、関節痛等を認めることがある」とあって、予防接種自体に不安が呼び起こされる。
 もうひとつの問題は、それぞれ複数回の接種(たとえば、A型肝炎であれば2回接種)を受けないと効果がないが、副反応を考慮すると、1週間ごとに接種することになるため、出発前1か月ほどの間では受けられる接種に限りがあること。そこで、1度に2種類を接種してくれる医療機関を探すことにする。
 東京駅八重洲口近くにある日本検疫衛生協会東京診療所では、一度に2種類の予防接種が可能ということで、出発前4週間、毎週通って、B型肝炎以外の予防接種を済ませることとした。「2種類同時接種」というのは、要するに、両肩に異なる種類の予防接種を一度にすることで、副反応のことを考えると不安になるけれども、案ずるより生むが安し、結局問題なく済ませることができた。この診療所に行くと、毎回、小さな子供たちが親と来ていて、予防接種をしている。それだけ、東南アジアなどに赴任する家族が多いということであろう。


いよいよ出発

 デング熱という発病すると死亡率が高い病気に対しては、予防方法がない。その対策は蚊に刺されないこと、といういたってシンプルな対策しかない。インドネシアでは1年間に患者が8700人、195人死亡、シンガポールでも4700人の患者に6人死亡、と2月の海外安全情報で報じられている。蚊対策は不可欠である。1晩に1本使う計算で、昔ながらの除虫菊の蚊取り線香を大量に持っていくことにする。科学院の職員からは、乾電池式で音波により蚊を遠ざけるという「秘密兵器」を餞別としていただく。
 こうして欧米への海外出張とは異なる準備をした上で、本年2月15日、成田からタイ経由で、ラオスに向かって旅立った。

ラオスに旅立つ

【 週刊社会保障 2004.6.21 №2288(法研) 】

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