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制度が行動を変える

 人間がつくった制度が、人々に影響を与え、それまで普通だった人々の考え方や行動を変えてしまうということはよくみられる。たとえば、ビール市場における発泡酒の拡大はその典型例であろう。発泡酒は、ビールが酒税法により高い税率となっているため、麦芽比率を下げることにより酒税負担を低くして、低値段でビール並の味を出そうとしたメーカーの苦心作である。発泡酒は味はともかくとして、ビールよりもかなり値段が安いことから、消費者に受け入れられ、今やビールの全出荷量の4割を占めるに至っている。しかし、ビールの本場ドイツでは、麦芽100%のみを「ビール」としており、麦芽比率67%以下の発泡酒を「ビール」として飲んでいる日本人は、ドイツ人からみると妙だと思われているかもしれない。これは、酒税法の税率が、ビールの製法や日本人の嗜好を変えてしまった例である。


介護保険分野の例

 介護保険分野でも、介護保険制度が要介護者やその家族、あるいはサービス提供者の行動を変えてしまうという現象が起きている。
 その一例が、要介護者やその家族からの施設入所希望の増大である。「施設ニーズの偏重」と言っても良い。その理由としては、施設入所の手続きが簡単になったことや、在宅サービスを利用したとしても在宅における家族の介護負担が重いこと、在宅生活を支えるための地域における支援の仕組みが不十分といった点が挙げられる。老人ホーム入所に対する世間の偏見が小さくなったことはよいとしても、介護保険の趣旨に反して施設ニーズが増大している現状は好ましいものではない。
 もう一例が、都市部で増加している高齢者共同住宅である。要介護の高齢者を1か所に集めて、家賃や食費等の日常生活費を徴収し、介護については在宅の支給限度額いっぱいのサービスを提供することにより対応する。コスト削減のため、常駐の職員はごくわずかで、外部からのヘルパー等で対応する。施設所有者と管理者、サービス提供者がそれぞれ別々の場合もある。量的規制の対象外であり、設置主体の制約もない。特定施設等に比べて施設基準・職員配置基準の規制がないうえに、利用者に対する介護報酬では逆に高くなる。
 制度的には、特定施設でもグループホームでもなく、まして介護保健施設でもなく、「在宅」の扱いであるが、介護保険制度が当初想定した「在宅のイメージ」(長年住み慣れた家で可能な限り生活を続ける)とは異なる形態である。はたしてこうした形態で、介護保険の理念である要介護者個々人に対応した適切な介護サービスを提供できるのだろうか。他方、要介護高齢者やその家族のニーズに応えた新ビジネスとして、一層増大する可能性がある。


在宅介護を評価するために

 高齢者の意識をみると、半数は自宅で介護を受けたいという人である(内閣府「高齢者の健康に関する意識調査」)。それなのに、在宅重視の介護保険の仕組みが、在宅介護生活を敬遠させているとすれば残念なことである。施設ニーズの偏重や高齢者共同住宅の登場は、現行制度が在宅介護を正当に評価していないことや、在宅介護を選択すると不利益となるような仕組みになっていることが、原因のひとつではないかと考える。
 介護給付費実態調査月報(平成15年4月審査分)によれば、1人あたり介護サービス利用額は、在宅サービスでは8万7千円、施設サービスでは36万4千円である。施設サービス利用者の方が、約4倍の保険給付を享受している。もちろん在宅サービスを支給限度額いっぱい利用している人もいるが、その場合には利用者負担も増大する。在宅の場合、施設入所と異なり、食費はもちろんのこと、住居費や光熱水費も自己負担である。在宅生活を選択しようと、施設入所を選択しようと、保険料負担には相違はない。とするならば、現行制度は、在宅か施設入所かという自由な選択にバイアス(ゆがみ)をもたらし、結果的に在宅生活者に不利益をもたらしているものといえよう。
 この問題を解決するためには、施設入所者に対する居住費用の徴収という方法がある。これは、在宅と施設の間の生活費負担の不公平を解決するものである。さらに、在宅生活を積極的に評価する方法として、ドイツ介護保険制度と同様の介護手当の制度化がある。
 介護手当がなぜ制度化されなかったのかについては、拙著(『介護保険見直しの争点』(法律文化社)で政策過程を振り返りつつ解説しているので、詳細はそちらに譲るとして、次のようなメリットから、介護手当の制度化は在宅介護を支援する一方法になると考えている。

① 要介護者のサービス選択の幅を広げるなど、利用者本位の制度になる。
② 介護等の社会的に価値がある無償労働を社会的に評価し、介護者を支援する。
③ 介護手当の支給要件として、家族等の介護者の資格要件の設定や保険者の家庭訪問を結びつけることにより、家庭内介護の質の向上を導く

 介護保険制度の創設検討時には、介護手当の制度化については将来の課題とされた。今回の見直し時期に改めて検討すべき重要テーマである。なお、介護手当の制度化については、財政負担の増大を懸念する声があるが、参考のためにポイント欄に荒い試算を示す。 


(今月のポイント) 介護手当導入による財政負担

 介護手当を導入した場合、介護保険財政にどのような影響を与えるだろうか。介護手当の水準や給付条件、要介護者の利用状況等、種々の不確定要素があるので、正確に試算することは困難であるが、ここでは、平成15年4月の介護給付費実態調査月報のデータ(表参照)を用いて、いくつかのケースに分けて大まかな試算をしてみよう。なお、介護手当の給付水準は訪問介護報酬の5割とする。

(試算1)
介護保険給付の未利用者である要介護者等約72万人が、在宅サービスを利用している人たちと同じ程度(介護保険平均利用率40%)で保険給付を受け、そのすべてが介護手当とした場合 ・・・ 月額300億円(年額3,600億円)

(試算2)
在宅サービスを利用している人たちが、現在使い切っていない支給限度額のすべてを介護手当の給付とした場合 ・・・ 月額1,090億円(年額1兆3千億円)
ただし、現在の在宅サービス利用者が支給限度額いっぱいを利用すると、月額4,000億円(年額4兆8千億円)となるので、この場合と比べると年額1兆3千億円の削減。

(試算3)
訪問介護サービス(月額500億円)のうち、家事援助サービスを介護手当に置き換えた場合 ・・・ 現在と比較をして、月額50億円(年額600億円)の削減

 なお、介護手当を制度化することにより、地方自治体が単独事業で行っている敬老祝い金等が不要となる可能性が大きいので、これらの財政負担が緩和する。



                   

                                                     表  要介護度別サービス利用状況 (単位 千人)

介護手当再考

【 第6回 2003年9月 】

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